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車いすバスケットボールとの出会いが、自分自身を大きく変えてくれた。つらい出来事も、いつか必ず自分の武器になる。

リクルートオフィスサポートに勤務し、人事や広報の業務をこなしながら、車いすバスケットボール選手としても活躍する、小田島理恵さん。22歳のとき、事故によって右足と体幹機能に障がいを負い、それがきっかけとなって車いすバスケットボールと出会いました。

「競技を通してさまざまな人たちと出会い、支えていただきながら、多くの気付きを得ました」と笑顔で語る小田島さん。これまでどのような出会いがあり、小田島さん自身にどのような変化があったのかを聞きました。

「#2021年の出会い」投稿キャンペーンと連動し、「出会い」をテーマにリクルート所属パラアスリートのインタビューをお届けします。背景にあるのは、「まだ、ここにない、出会い。」というリクルートが大切にしているメッセージ。 “さまざまな事業・サービスを通じて、まだ見ぬ可能性や希望、人や仕事、場所との出会いをお届けできたら”という思いが込められています。厳しいトレーニングやプレッシャー、葛藤を乗り越えて世界を舞台に活躍する選手たちのインタビューを通じて、新しい出会いに向けたきっかけや勇気をお届けできたら幸いです。

株式会社リクルート所属 株式会社リクルートオフィスサポート勤務
小田島理恵さん
1989年、埼玉県出身。株式会社リクルートオフィスサポート 人事部採用グループで新卒採用を担当。車いすバスケットボール選手(Wing、東京ファイターズB.C.所属)。22歳のとき事故に遭い、右足と体幹機能に障がいを負う。その後リハビリ中に、車いすバスケットボールに出会う。チームとしては、2018年に「皇后杯(全日本選手権大会)」8位、2019年は「皇后杯(全日本選手権大会)」6位。日本代表では、2018年「国際親善女子車いすバスケットボール大阪大会」4位、「アジアパラリンピック競技大会」2位、2019年に「アジアオセアニアチャンピオンシップス」3位、2020年「国際親善女子車いすバスケットボール大阪大会」3位、2021年「東京2020パラリンピック競技大会」6位の記録を持つ。

車いすバスケットボールとの出会いが、生活のすべてを変えた

──車いすバスケットボールと出会う前は、スポーツをしていたのですか。

小田島:高校で少林寺拳法部に入っていました。高校生最後の全国大会に出る予定だったんですけど、直前にけがをしてしまって、出場できなかったんです。3年間頑張ったのに、大会に出ないまま終わってしまうのは悔しいと思っていたところ、先生から「大学生や社会人が出場する一般の全国大会に出てみないか」と言っていただいて。治療後に出場して、5位という成績を取りました。

──素晴らしいですね。その後、22歳のときに事故で障がいを負ったときは、相当なショックを受けられたと思うのですが……。

小田島:そうですね。でも私の場合は、逆にけがをしたことがきっかけで元気になったんです。実は当時、うつ病や摂食障がいなどの精神疾患を持っていたんです。そんなとき、けがによって全く動けなくなり、人に頼らざるを得なくなった。ここで初めて、人に甘えることができたんです。「自分は今まで、頑張りすぎていたんだ」と気付き、とても気持ちが楽になったことを覚えています。

──その翌年に車いすバスケットボールに出会われたのですね。

小田島:はい。なかなかリハビリができないまま、家の中でハイハイするように動いて過ごしていたんですが、ある日、父から障がい者スポーツセンターの存在を教えてもらったんです。最初は、トレーニングルームで歩く練習をする目的で行こうと思っていたんですけど、ちょうどそのときに車いすバスケットボールの体験教室があることをポスターで知り、楽しそうだなと、何気ない気持ちで参加したのがきっかけでした。

このときの講師が、パラリンピアンだったんです。私の恩師である、多智利枝さんです。「GRACE(旧東京グレース)」というチームに所属していた方で、1984年のイギリスのアイレスベリー大会で銅メダルを獲得し、1988年のソウル大会、1992年のバルセロナ大会にも出場されました。パラリンピアンがこんなに身近にいることに感動して、「自分も出てみたい!」と思いました。

──車いすバスケットボールは、コートの広さやゴールの高さ、ボールの大きさも健常者のバスケットボールと同じとのことで、最初は大変だったと思うのですが、いかがでしたか。

小田島:大変でしたね。そもそも車いすの操作自体にも慣れていなかったですし、その上、車いすを操作しながらボールを使って、周りを見るという動きが難しかったです。楽しいけど難しい、難しいけど燃えるという気持ちでしたね。フリースローがちゃんと打って入るようになるまでに、2年間くらいかかりました。

──車いすバスケットボールと出会って、ご自身の中で最も変化があったのはどんなことでしたか。

小田島:もう、すべてにおいて変化があったんですよね。先ほども触れましたが、けがをする前はうつ病や摂食障がいがありましたし、22歳でけがをした後も、なかなかごはんが食べられなかったり、夜も眠れなかったり、外出するときも不安になったりして、日々を楽しく過ごすことができなかったんです。そういった中で車いすバスケットボールと出会い、「運動するなら、しっかりごはんを食べなきゃ」「夕方に練習があるから、出かけよう」と前向きに考えるようになりました。さまざまな不安より、バスケをしたいっていう気持ちの方が上回り、生活のすべてが変わっていきました。

車いすバスケットボールの楽しさを伝えるため、自ら出会いをつくる

──車いすバスケットボールを通じて、さまざまな出会いがあったと思います。印象的な出会いについて教えてください。

小田島:2017年に、国際車いすバスケットボール連盟が主催する、アジアの発展途上国の人たちを対象にしたキャンプが、タイで行われました。そこで、バーレーンの選手と出会ったんです。バーレーンには女子チームがないので、彼女は1人で参加していました。そのときから仲良くしていて、遠く離れていてもSNSで交流し続けています。

そして2021年、選手村で彼女と再会したんです。ただ、彼女は車いすバスケットボール代表ではなくて、陸上の選手として出場していました。こうして国際大会を通じて会うことは、お互いが頑張り続けていなければ実現できませんから、再会したときはすごくうれしかったですね。国際大会に出るときは、彼女と会えることが楽しみの一つになっています。

──遠く離れていても、そういった選手の存在は励みになりますね。

小田島:そうですね。それから車いすバスケットボールを通じた出会いといえば、私は、自分から「出会いをつくる」こともしているんです。

──出会いをつくる……、どういうことでしょうか?

小田島:例えば、街中で車いすに乗っている人を見かけると、「車いすバスケットボールを一緒にやりませんか」と声をかけちゃうんです。

──すごい勇気ですね! なぜそのような活動を始めたんですか。

小田島:自分が車いすバスケットボールと出会って、大きく生活が変わったり、前向きになれたりしたので、車いすバスケットボールをまだ知らない人にも楽しさを知ってほしいと思っているんです。もし、私が声をかけたことで、その人が車いすバスケットボールに夢中になってくれたら、ぜひ一緒にやりたいなと。

──まさに「まだ、ここにない、出会い。」をつくっちゃうわけですね。

小田島:もちろん、失敗することも多いんですけどね。普通は、知らない人に声をかけるって緊張するじゃないですか。でも私は、電車や街中で出会う人とはもう二度と会うことはないかもしれないから、恥ずかしくてもいいやと思って声をかけてしまうんです。リクルートオフィスサポートに入ってから、「小田島さんに声をかけられました」という人が2人いました(笑)。

──声をかけられた中に、車いすバスケットボールを始めた方はいましたか。

小田島:1人だけいました。新宿駅で出会った人です。Bリーグ(日本のプロバスケットボールリーグ)の缶バッジをバッグにたくさん付けていたので、「この人はバスケが好きなんだな」と思って声をかけました。今は、「Wing(ウィング)」というチームに所属されています。

他にも、車いすの使い方がいいフォームだったので声をかけたら、「以前、GRACEというチームに所属していました」と話してくれた人がいて、「私の先輩でしたか!」ということもありました(笑)。

失敗やつらい出来事は、自分の背中を押してくれる「武器」になる

──「2021年の出会い」と聞いて、思い浮かべるエピソードを教えてください。

小田島:競技を通じての出会いももちろんあるのですが、仕事を通じた出会いも印象的でした。2021年10月に人事部に異動になりまして、広報と兼務しながら新卒採用を担当することになったんです。

私は、精神と身体、両方の障がいを経験し、どちらの気持ちも分かるので、同じことで苦しむ人たちのフォローをしたいと考えていました。そんな中、ある学生さんが、精神疾患を抱えていたのです。上司と一緒に面談してコミュニケーションを取っていたら、「入社します」と。気持ちが通じたようで、すごくうれしかったですね。

──今後、挑戦してみたいことはありますか。

小田島:リクルートが推進する「パラリング(※)」という活動をはじめ、車いすバスケットボールを広めるための体験会や講演会はすでに開催しているのですが、今後は、車いすバスケットボールをきっかけにして、健常者と障がい者との間にある「透明な壁」を取り払っていく活動をしていきたいです。

特に子どもたちは、まだ先入観がなくて、多くのことを受け入れてくれやすいので、実際に会って、関わって、「みんなと何も変わらないんだよ」と伝えていきたいです。すると、将来その子どもたちが大人になったときに、障がいの有無に関係なく、人と関われるようになるかもしれない。こうした活動を積み重ねて、障がい者とフラットに接することができる社会をつくっていきたいですね。

※パラリング:「パラダイムシフト(考え方の変化)」と「リング(つながりの輪)」の造語で、障がい者理解を広めていくリクルートの活動。障がいの有無にかかわらず、それぞれが活躍できる社会の実現を目指す。

──これから一歩踏み出そうとしている人や、読者の皆さんに向けてメッセージをお願いします。

小田島:踏み出すその一歩には、いろいろな気持ちが入っていると思います。ワクワクや期待だけじゃなくて、少なからず不安のようなマイナスの感情もあるかもしれません。

私がさまざまなことを経験してきて思うのは、たとえ失敗やつらい出来事のようなマイナスの経験であっても、後にそれは最強の武器になるということです。そのときは苦しくとも、乗り切った先には、踏み出す一歩の原動力となる。だから、大変な状況に陥ったとしても、それを見返すぐらいの最強の武器にしていってほしいです。


※肩書、担当業務などは取材当時(2022年1月)のものです。

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