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36歳での大きな決断——車いすテニス代表・菅野浩二が語る、4年先に見えたもの

ある日、趣味で続けてきたことで『世界を狙える』といわれたら。

あなたはどう、行動するでしょうか。

3年前、この選択と向き合い、東京2020パラリンピックでメダルを目指す選手がいます。車いすテニス クァードクラス日本代表の菅野浩二さんです。

菅野さんは今、リクルートのグループ会社で会社員として働きながら、車いすテニス クァードクラスの選手として活躍しています。現在日本ランキング1位、世界ランキング4位と、メダル射程圏内。ここ数年、世界大会で次々とタイトルを獲得し実績を重ねてきた菅野さんですが、本格的にアスリートを目指したのは、36歳の時のことでした。

菅野さんはなぜ、このタイミングで本格的にアスリートを目指したのか。そしてなぜ、わずか3年で世界のトッププレイヤーになれたのでしょうか。

今回は、菅野さんも参加した、障がい者スポーツを通してお互いをサポートする大切さを体感してもらうイベント「サポ育 in 仙台」を取材。イベントの様子と、菅野さんへのインタビューをお届けします。

障がい者スポーツ観戦・体験を通し、理解を深める「サポ育」

仙台市内から地下鉄で15分ほど。東北工業大学八木山キャンパスの体育館にて、2019年9月21日「パラリング サポ育 in 仙台」が開催されました。このイベントはリクルートが主催する、障がいの有無にかかわらず、それぞれが個性を活かして活躍できる社会の実現を目指す活動のひとつ。東京2020参画プログラムの「公認プログラム」として認証を得ているものです。

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今回は、地元の中学生、小学6年生を中心に100名のお子さんが参加。菅野さんをはじめとするリクルート所属のアスリートがサポートし、障がい者スポーツの観戦や体験をしていただきました!

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前半は、障がい者スポーツ観戦。菅野さんをはじめとするアスリートが、参加者の目の前で車いすテニスでのラリーや車いすバスケットボールの3×3をプレー。その迫力に圧倒されます。

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元マラソン金メダリストの野口みずきさんも参加。障がい者スポーツの楽しさと、普通のスポーツとは異なる難しさの両面を体感していただきました。

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前半では参加機会も用意。その場で希望してくれたお子さんたちにバスケ、テニスを体験してもらいました。めったにない、アスリートとの対戦機会。車いすの操作にとまどいながらも、各々工夫しながら戦いを繰り広げていきました。

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後半は、全員で障がい者スポーツ体験。

さきほど観戦した車いすバスケットボールに加え、ブラインドランニング、ボッチャといった障がい者スポーツを実際に体験していただきました。

当日その様子を見ていた保護者の方々からは、「障がい者スポーツって見ている分にはできそうに見えるけど、実際やってみるととても難しいんですね。やはりアスリートの皆さんすごく鍛えられているからこそなんだなと、驚いた」「ボッチャを見ていましたが、中学生より小さい子の方が上手いかも。本当に誰もが一緒に楽しめるスポーツですね」といった声が聞かれました。

競技生活16年目、本格的にアスリートを目指した理由

菅野「車いすテニスは、普段は足で動いて手で打つテニスを、手だけでプレーします。ですから、はじめてやると『打つ』ことに意識が集中してしまい、車いすで動くことに気が回らなくなってしまうんです。今回は時間の関係でその難しさを体感していただくまででしたが、次回はもう少し楽しさもお伝えしたいですね」

後半の障がい者スポーツ体験の途中、合間をぬって時間を作ってくれた菅野さんに話を伺うと、会の様子をこのように振り返ってくれました。

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菅野さんが車いす生活を始めたのは今から25年ほど前、高校一年生のときでした。その4年後、20歳の時に偶然競技用車いすを譲り受ける機会があり、車いすテニスをスタート。菅野さんもはじめは、打つことに意識が集中し、車椅子を動かせない経験をしたといいます。

そこから15年以上、趣味として車いすテニスを続けていった菅野さん。普段はリクルートのグループ会社で会社員として働きつつ、就業時間後や週末の時間を使い、少しずつその技術を高めていきました。

あくまで趣味としてのテニスでしたが、元々スポーツが好きだった菅野さんは、日本ランキング上位8人が出場できる全日本選抜車いすテニスマスターズへの出場を目標に設定。日々練習を重ね、ついに36歳の時、その舞台に立ちました。

そしてこのとき、パラリンピック出場を目指して活動することになる、あるきっかけがあります。それは、日本車いすテニス界第一人者で、1996年からパラリンピックに出場し続けている齋田悟司さんからかけられたある一言でした。

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菅野「『クァードクラスならパラリンピックを狙えるんじゃない?』と言われたんです。あくまで趣味で続けてきた競技でしたし、これまで全く考えていなかった選択肢です。突然『パラリンピックが狙える』と言われても実感もなく、最初は非常に悩んだのをよく覚えています」

菅野さんが当時参加していた男女別のクラスは、下肢に障がいがある選手のクラス。一方、クァードクラスはそれに加え手指にも障がいがある選手のクラスです。

もともと手指にも障がいがあった菅野さんですが、クァードクラスの出場には障がいの度合いを認定する検査が必要です。趣味の一環だった菅野さんは、あえて検査を受けてまで転向しようとは思ってもいませんでした。

加えて、クァードクラスに転向し、本格的にパラリンピックを目指すには、これまでの比ではない量の練習と各種大会へ参加するために膨大な費用がかかります。このとき菅野さんは36歳。「夢だけ追いかけてやれるような歳でもなかった」と当時の状況を冷静に見ていました。

それでも、菅野さんがクァードクラスへと転向したのは、数年後が明確に見えたからでした。

菅野「『今の実力ならこれくらいまではいける』と、明確にパラリンピックへの道が想像できたんです。夢ではなく現実的に、1年後にはここ、2年後は、3年後は……というマイルストーンがあり、その先に東京で戦える姿がイメージできた。冷静に分析しても、手を伸ばせばそこにチャンスがある状況だったんです」

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ためらいはあったものの、可能性が見えているのであれば、悔いのないよう本気で挑戦したい。そう思いクァードクラスでの競技活動へ舵を切る決意をした菅野さん。実際、このときに見据えていたマイルストーン通りに、菅野さんは成果を積み上げてきました。

2017年の転向後、1年目には日本一を獲得。2年目にはアジアパラリンピックで2位に入賞。3年目の今年はグランドスラムへ出場。現在、日本ランク1位の世界ランク4位。とても3年前までは趣味でプレーしていたとは思えない活躍を“予想通り”に実現していったのです。

支援を得るために、着実に成果を出し続ける

この「着実な道」が見えていたことは、パラリンピックを目指す上でサポートを受ける意味でも、菅野さんにとっては欠かせないものでした。

菅野「海外の大会では一週間以上日本を離れることになります。加えて、滞在費や渡航費で一大会20~30万円はかかる。趣味でやっていたときは有給休暇でまかなえるくらいの日数、かつ国内移動なのでなんとかなりましたが、本気でパラリンピック出場を目指すとなるとそうもいきません。費用面・業務面でサポートいただくことは欠かせないと思っていました。その上で成果は絶対に必要だと思ったんです」

勤務先であるリクルートのグループ会社には、菅野さん以外にも何人かのアスリートが所属。彼らの活動を支援するための、仕組みや制度も整備されています。菅野さんもこれらの制度を利用すべく、成果をしっかりと上げたうえで会社に相談しようと考えていたのです。

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菅野「『結果をみてアスリートとして活動させてもらえませんか?』と相談し、支援いただくためにも出場した大会で確実に結果を出すと決めたんです。上司は相談したときからずっと応援してくれていたので、自分にできることをやろう、支援を得やすい状況をプレーでみせていこう、と考えていました」

結果、勤務日数を週3日に抑えるほか、遠征費用等も一部支援してもらえることに。ただ、この制度は元々バスケットボール競技用に作られたものだったため、海外遠征の多い車いすテニスで活動していくにはより手厚いサポートが必要でした。そのために、自ら企画書を作成し、上司と何度も話し合いブラッシュアップしながら、他のグループ会社にも相談することにしました。

菅野「チャレンジし続けるためには費用面が足りない旨を上司に打ち明けると、他のグループ会社にも話をしてみよう、といってくれました。決して少ない金額ではないので簡単ではありませんでしたが、上司の強い後押しもあり、最終的に年間20回近い海外遠征の費用もサポートしていただけることになったんです」

菅野さんは、支援を求めるだけではなく、会社のために自分が貢献できることも熟慮したそう。一番は、試合で着実に成果を出すこと。日夜練習を積み重ねたうえで、期待を裏切らない結果をしっかりと出し続け、自身の活動へとつなげていきました。

自分なりの”挑戦”の道の見つけ方

この3年間の躍進をあらかじめ見据えた上で、クァードクラスへ転向し、結果を出してきた菅野さん。

なぜそこまで戦略的に成果を積み上げられたのか。そう問いかけると、意外にも菅野さんは、自身が「挑戦することが得意ではないから」と教えてくれました。

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菅野「僕はとても、保守的なんです。迷ったら基本やらないタイプ。ただ、今回は運よくキッカケや上司の後押しがあり、会社から金銭面・業務面でサポートいただくことが出来た。『やらないで後悔するならば、一回ぐらいやってみよう』と思えるくらいの状況があったから挑戦できたんです。

漠然とした夢ではなく、2,3年先までしっかりと見えていた。刻むべきステップが明確にあり、目指す4年後までの具体的なイメージが出来たことが大きかったですね」

東京2020パラリンピックまでのこり8カ月ほど。インタビューの最後、パラリンピックに向けた意気込みを伺うと、自身のまわりの人、そしてサポ育に参加してくれた方々のことをあげながら以下のように答えてくれました。

菅野「結果がどうなるかは分からないですが、僕はそこで戦う万全の体制を整えて臨みたいと思います。そのときに、会社の人や自分の周りの人はもちろん、本当にさまざまな人が興味を持って会場に来てくれたら嬉しいですね。応援してくださる皆さんの力があってこそですから、会場でも、画面の前でも、ぜひ応援いただけると嬉しいです」

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今日は障がいの有無に関係なく、アスリートからお子さんまでさまざまな方が参加してくれて、一緒に障がい者スポーツを楽しんでもらえて本当によかったです。これからも、菅野さんたちアスリートの支援や、今日のようにみんなが一緒に楽しめるイベントの企画など、「パラリング」の活動を続けていく予定です。今後は東京や東北以外の地域でもイベントを実施していきたいですし、共感いただける他の企業や自治体の皆さんとコラボレーションもしていけたらと思っています!(小林 慶太さん/リクルート・サステナビリティ推進室)


■「パラリング」について
「パラダイムシフト(考え方の変化)」と「リング(輪)」の造語で、障がい者理解を広めていくリクルートの活動です。

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