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リクルートで働く人々

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さまざな取り組み・サービスの裏側で奮闘する、リクルートで働く従業員の思いをお届けしています。
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#出会い

一つひとつの出会いを力に変えて。車いすテニス・菅野浩二選手が挑戦し続ける原動力とは。

20歳で車いすテニスと出会い、36歳でクァードクラス(男女混合・三肢以上に障がいのある選手が対象)に転向してから目覚ましい活躍を見せる菅野浩二さん。日本ランキング1位の座に着き、国際大会でも上位に名を連ねています。昨年の東京2020パラリンピック競技大会では、ダブルスで銅メダル、シングルスで4位という成績を残しました。 「支えてくれる人たちがいなければ、ここまで続けることはできませんでした」と語る菅野さん。厳しいトレーニングに耐え、より上を目指し続ける原動力はなんなのか、詳

どんなことがあっても笑顔でいれば乗り越えられる。シッティングバレーボールが自分の世界を広げてくれた。

小学校3年生からバレーボールを始め、高校では強豪校である青森県立弘前工業高等学校で活躍していた、田澤隼さん。19歳のときに事故で右足に障がいを負い、シッティングバレーボールと出会います。 「競技を通して、本当に多くの人とつながりました」と語る田澤さんに、シッティングバレーボールを通じたさまざまな出会いについて、お話を聞きました。 シッティングバレーボールは、難しい分、面白さがあった──シッティングバレーボールを始める前も、バレーボールをプレーしていたそうですね。 田澤:

車いすバスケットボールとの出会いが、自分自身を大きく変えてくれた。つらい出来事も、いつか必ず自分の武器になる。

リクルートオフィスサポートに勤務し、人事や広報の業務をこなしながら、車いすバスケットボール選手としても活躍する、小田島理恵さん。22歳のとき、事故によって右足と体幹機能に障がいを負い、それがきっかけとなって車いすバスケットボールと出会いました。 「競技を通してさまざまな人たちと出会い、支えていただきながら、多くの気付きを得ました」と笑顔で語る小田島さん。これまでどのような出会いがあり、小田島さん自身にどのような変化があったのかを聞きました。 車いすバスケットボールとの出会